三菱重工

三菱重工サッカー部の
系譜SPECIAL CONTENTS

VOL.11 | 2018.06.23

天皇杯・JSL 記念グッズの世界

浦和レッズの前身でもある三菱重工業、その系譜をたどる連載。第11回は、かつて三菱重工サッカー部のチームドクターを務め、本誌ISSUE131にもご登場いただいた大畠襄ドクターの秘蔵グッズを紹介する。

協力=大畠 襄
(Cooperation by Nozomu O'HATA)

文=大西 徹
(Text by Toru ONISHI)

写真=兼子愼一郎
(Photo by Shin-ichiro KANEKO)

「こんなのがあるよ」

 1月、東京都内。本誌取材陣は大畠襄ドクターのご自宅でインタビューをしていた。三菱重工サッカー部のチームドクターを務めていた頃のエピソードを聞き終えた後のこと。大畠ドクターがひと抱えの大きなダンボール箱を出してきた。中からは時代を感じさせるメダルや時計が次々と出てくる。

 当時の記憶がよみがえる。

「ウチのすぐ近くに三菱重工の独身寮があったんだ。独身の選手は全員そこに入っていた。駅のそばには『ネバ』という小さなレストランがあって、二宮寛監督は選手の栄養を気遣い、毎夕食、ネバのオバチャン(寺田夫人/オーナー)に高カロリーの夕食を作らせ、選手が通っていたんだ」

 三菱重工は1969年に第5回日本サッカーリーグ(JSL)、71年に天皇杯で初優勝を飾る。73年にJSLと天皇杯の二冠に輝くと、78年にはJSL、JSLカップ、天皇杯の三冠を達成。大畠ドクターはメディカルな面で選手たちを支えてきた。

「当時私はキヤノンの撮影機(8ミリカメラ)に凝っていて、南米遠征や国内合宿などの機会があるとチームを撮影していました。映像を選手に見せたいんだけど、なんせド素人が撮るんだから、画面がやたら動いていて、見ていて気持ち悪くなってしまう。そこで、一計を案じて、私のウチの庭でバーベキューパーティーをすることに。映像を見てもらうのに苦労したよ」

「久しぶりに取り出した」というメダルは、当時の輝きを失うことなく、今も栄光の記憶を伝え続けている。

天皇杯・JSL 記念グッズの世界
JSL優勝記念 トロフィー[1973年]
2度目のリーグ優勝を記念して贈られたトロフィー。この年は二宮寛監督の下で天皇杯も制し、二冠に輝いている。
天皇杯・JSL 記念グッズの世界
スリーダイヤとクラブ名を組み合わせた三菱重工サッカー部のエンブレム。ワッペンによって文字の色やサイズが微妙に異なる。赤・青・緑を基調にしたワッペンを使用することもあった。
天皇杯・JSL 記念グッズの世界
天皇杯優勝記念 メダル[1972年]
躍動する選手をモチーフにデザインされた優勝記念メダル。裏には“日本蹴球協会”(現在の日本サッカー協会)の文字が刻まれている。
天皇杯・JSL 記念グッズの世界
JSL優勝記念 メダル
“優勝”と“J.S.L”の文字が目を引くサッカーボール型の記念メダルは、シンプルなデザインが特徴的。
天皇杯・JSL 記念グッズの世界
JSL記念 メダル
木製の箱に収められたJSL記念メダル。年によってサッカーボールのデザインや色が異なる。
天皇杯・JSL 記念グッズの世界
三冠達成記念 置き時計[1978年度]
第3回JSLカップ、第14回JSL、第58回天皇杯で優勝し、史上初の三冠を達成した記念に贈られた置き時計。ドイツのKIENZLE社製で、主要都市の時差が分かる。
天皇杯・JSL 記念グッズの世界
JSL優勝記念 腕時計[1982年]
横山謙三監督の下で三菱重工サッカー部が4度目となるリーグ優勝を果たす。“F.C. MITSUBISHI”の文字が刻印された腕時計が贈呈された。
天皇杯・JSL 記念グッズの世界
JSL優勝記念 掛け時計[1978年]
3度目のリーグ優勝を達成した後に三菱サッカー後援会から贈呈された記念品。当時のチームには森孝慈氏や横山謙三氏、落合弘氏、大仁邦彌氏らが在籍していた。
出来事と戦績

1950年 中日本重工業(本社 神戸)サッカー部創部

1951年

1952年 新三菱重工業神戸サッカー部となる

1953年

1954年

1955年

1956年 都市対抗 準優勝

1957年

1958年 東京本社にサッカー部移転

1959年 全日本実業団選手権 準優勝

1960年

1961年

1962年

1963年

1964年 三菱重工業サッカー部となる

1965年 日本リーグ(1年目) 5位

1966年 第2回日本リーグ 4位

1967年 第3回日本リーグ 3位、天皇杯 準優勝

1968年 第4回日本リーグ 3位、天皇杯 準優勝

1969年 第5回日本リーグ 初優勝

1970年 第6回日本リーグ 準優勝

1971年 第7回日本リーグ 準優勝、天皇杯 初優勝

1972年 第8回日本リーグ 4位

1973年 第9回日本リーグ 優勝(2回目)、天皇杯 優勝(2回目)

1974年 第10回日本リーグ 準優勝

1975年 第11回日本リーグ 準優勝

1976年 第12回日本リーグ 準優勝

1977年 第13回日本リーグ 準優勝

1978年 第14回日本リーグ 優勝(3回目)、JSLカップ 初優勝、天皇杯 優勝(3回目) ※史上初の三冠

1979年 第15回日本リーグ 7位、天皇杯 準優勝

1980年 第16回日本リーグ 4位、天皇杯 優勝(4回目)

1981年 第17回日本リーグ 3位、JSLカップ 優勝(2回目)

1982年 第18回日本リーグ 優勝(4回目)

1983年 第19回日本リーグ 6位

1984年 第20回日本リーグ 7位

1985年 第21回日本リーグ 7位

1986年

1987年 第22回(1986/87)日本リーグ 3位

1988年 第23回(1987/88)日本リーグ 3位

1989年 第24回(1988/89)日本リーグ1部 12位。2部に降格

1990年 三菱自動車工業サッカー部となる。第18回(1989/90)日本リーグ2部 優勝。1部に復帰

1991年 第26回(1990/91)日本リーグ 10位

1992年 三菱浦和フットボールクラブとなる。第27回(1991/92)日本リーグ 11位

1993年 Jリーグ開幕

1994年

1995年

1996年 浦和レッドダイヤモンズとなる

大住良之 Yoshiyuki OSUMI

神奈川県横須賀市生まれ。
大学卒業後にベースボール・マガジン社に入社し、後に『サッカーマガジン』編集長に就任。88年からフリーとして活動。著書に『浦和レッズの幸福』(アスペクト)など。

URAWA MAGAZINE ISSUE132より転載

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